「ツレがうつになりまして。」と「神様のカルテ」 映画雑感
映画「ツレがうつになりまして。」を見た後、頭の奥の方で引っかかっていることについて書こうと思うが、それがこの映画自体とどう関係しているのかまだ自分で明確にはなっていない。
何が気になるのかというと、この映画の時間を占める主人公夫婦の家と外との関係だ。
この映画ではうつ病になったツレ、髙崎幹男(堺雅人)とその妻晴子(宮崎あおい)を始め、登場人物がその家を出るシーンも入るシーンもないことだ。
ツレは玄関でハルさんに見送られ出て行くが、外からの家を出て行くショットはない。帰ってきても、玄関を開けるシーンはない。
夫婦だけではなく、この家へ来る人間たちも、幹男の兄(津田寛治)が来ても玄関内のたたきにイグアナと面と向かうシーンから始まり、ハルの母(余貴美子)もこの家に来ると居間のシーンから突然登場する。
内と外とは繋がっているようで、その繋がりは意図的にか省略されている。
その空間的つながりの省略は、髙崎家の家のなかでも、行われていく。唯一、いびきのために隣の部屋に追い払われた幹男の布団にもぐりこむため、寝室から入ってくるハルが襖を開けるカットと昼寝をさせるため今からツレの部屋に二人が移動する場面など部屋から部屋の移動は少なく。ツレが風呂場で自殺しそうなる時も、空間的な処理はイグアナによって繋げられてしまう。
この空間の繋がりの省略は、最近見た「神様のカルテ」でも行われていく。この映画の主人公夫婦(この映画の妻役も宮崎あおいで、役名もハルさんというのは奇妙な偶然だが、)の住む古い旅館を改装した下宿御嶽荘も中心にある中庭の周囲を登場人物たちの部屋が囲み、中庭太鼓橋があって、その空いた空間を繋げているという凝ったセットだが、やはり空間と空間との関係性はほとんど描かれていない。

内と外とそれぞれの部屋と部屋の繋がりの省略が映画的な広がりを奪ってしまい、それぞれのシーンが呼応していかない時間が流れていく。
病気が良くなりツレは近くの公園からそれまで使うことができなかった携帯電話でハルの母に電話しお礼を述べる。家から解放されたはずなのに、その解放感は感じられない。アニメを使ってはいるが、何ともおそるおそるという感じ。惜しいなあ。
2本ともとても良くできた作品だが、真に映画的な時間が希薄で残念だった。
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